カーデザイン(カースタイリング)、ひいては工業デザインって何なのか・・・前からずっと考えているのです。答えは出ません。特に、エクステリアデザイン。インテリアデザインに関しては、直接人間が乗り込んで触れるものなので、エルゴノミクス的要素が絡んでくる。機能性が重視されると思うので、個人的には納得できてるのです。
エクステリアデザインに関して、前は「車にキャラクター性を与える仕事」と解釈していたんだけど、果たしてそうなのかな。これまでは、”車ってカッコいいに越したことは無いじゃん。もっともっと車を買ってもらうために外見をどんどん変えればいいんでしょ?デザイナーは絵を描いてればいいんだよね。”なんて半ば斜に構えたような感じで考えていた。果たしてそれでいいのか?対人安全性、燃費に関わる空力、いろいろと重視すべき項目はあるんだけど・・・。
一番厄介なのは、「カッコよさ」。カッコいいって何?恥ずかしながら今更(というか2年ほど前に)気づいた。何度も何度もプレゼンして、担当教官に「それのカッコよさってどこらへん?」と質問される。それに対して「ここはコレコレこういう理由でこういう形状で、ナニナニをモチーフにしていて・・・」と、本当に皆が口をそろえて言うんだけど、それって本当に必要な要素なのか?こじつけじゃね?後付けじゃね?そんなことばかりが続いて、産学共同プロジェクトではハラワタが煮えくりかえりまくった。学生らしさ(突飛な発想力と解釈)を求める企業と、現実性(即戦力と解釈)を求める大学という構図ですでに双方の意思の疎通にグネグネに歪みが生じていて、猛烈にストレスがたまった。開始から最終プレゼンまで、企業と大学間でのミーティングが2回しかなかったのも狂っている。
・・・機能とエモーションの狭間で揺れるなんてのは工業デザインによくある話なのは分かっている。レイモンド・ローウィの時代だって、意味なく流線型が流行って、鉛筆削りや掃除機まで流線型になっていた。その後のアメ車によくあった、テールフィンにキラキラのメッキ。全部その時代の世相というか、アメリカがすごい勢いで宇宙開発においてソ連と争っていた、ある意味で幸せな、元気な時代の影響を受けたものだ。アメリカの工業デザインは本当に分かりやすい。マーケティングの力がやたら強いこと。売れるデザインしかしない。
アップルのデザインで言えば、初代iMacが好例。それまで白物家電状態だったパソコンのデザイン、というかスタイリングに新展開をもたらした。丸いフォルムに透明なパーツ、パソコンの匂いはほとんどしてこない。iMacがバカ売れしていた頃、iMac的アイコン(清涼感)が流行って、どこもかしこも透明でカラフルだった。その後のMac(ポリタンク以降)はおとなしくなって、装飾的要素が一気に無くなった・・・。この急な展開の理由はよくわからないけど、やっぱりユーザーが慣れて飽きる前に変えたんじゃないだろうか。そして日本では、アップルに似た展開をしてるのは任天堂だと思う。DSLite以降(DSはややメカチック)、Wiiもそう。子供向けのゲーム機にしてはシンプルすぎるのが気になっていた。これは、大人から子供までを狙った結
果だろうか。ちょっと安易に思える。・・・そもそもデジタル機器って表面に機能が現れてこないから、好き勝手にデザイン、というかスタイリングできるようになっている。そういう面から考えてみると、意味がないんだから何もしない、シンプルにするということで理には適ってるけど・・・どうなんだろう・・・
今の工業デザインって、機能のブラックボックスによってかなり難しく、しかし簡単になっているんだと思う。各美大のデザイン科では、そういうブラックボックス化に対応するためにスタイリング力を鍛えようとしている。が、肝心の教える側の教授たちが非ブラックボックス時代の人ばかりなんだ・・・。だから、学生たちは自分で暗中模索するしかない。ものすごく大変だ。そもそもスタイリングなんて言ったって、形をこねくりまわしているだけでほとんど意味はない。コネコネするだけなら教授は要らないわけで、今の美大デザイン科は存在意義が問われてるんじゃないか。ただの就職予備校(美大のみから推薦枠を取る企業があるため)、というか企業の窓口機関のようなものになり下がっていると思う。そのくせ、教授たちは大学の体面、または自身の権威ばかり気にして、ろくに学生の面倒を見なかったりする。

デザインへのつかみどころのなさを吐き出そうと思っていたら、いつの間にか大学叩きになってしまった。。失礼しました。

最後に、この春からデザインを学ぼう・学びなおそうと思っている人に本を紹介しておきます。

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために

エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために

同じ著者が、真逆のことを言っている面白い本です。